mtylan’s diary 〜乳ガン編〜

私の頭の中をまとめるための記録。 37歳で告知、38歳でope。2022現在43歳。 乳がん 右全摘 ステージⅡa ルミナールA リンパlevel1郭清 ホルモン治療中

徒然の。震災と乳がん。


突然だけど、2011年は震災があってね、私が変わった年なんだよね。
私の人生というか私の中の何かが変わったんだよね。

大切なものが何なのか。
大切だと思っていたものがただの慣れや執着だと気付いたり。
守りたいものがはっきりしたり。
守れる力が弱くて焦ったり。


漠然と考えたり願ったりしていたことが、
「はい、時間切れです、答えを出しなさい」
と突きつけられた感じ。

そこまで追い詰められてようやく私は、
譲れないものがなんなのか、
自分がどうしたいのか、
何を選ぶべきなのか、が分かったんだよね。



乳がんになった今、
私の頭の中、あの頃と似てるんだ。
私の勝手な見解ね。



乳がんの告知からの2ヶ月くらいが、震災後の自分と重なるんだ。

あの頃ね、私はパニックでこれからどうなるか分からないと怯えてた。
遠方から心配してくれる人達の存在に感謝しながらも、こちらに対してどう接していいか分からないという空気を感じてた。
周りを気にかけながらもその日の自分のことしか考えられなくて。
起こった出来事をただ受け止められず、過ごしてた。

でもね、小さい姪と甥が庭で遊びながら笑ってるのを見て…
父がね、会社がどん底に追い込まれたのに、みんなに指示出してやるべき事を次々始めてて…


起こった出来事は仕方ない。
この出来事は私だけのことじゃない。
家族を守りたい。
数年後私はどうしていたいのか。
自分を見失ったらダメだ。
大切な人や大切なものを上手に大事にしたい。

そうやって動き始めたあの頃と、重なるんだよね。


いつまでも悲しんでばかりいられないし、
生活しないといけないしねぇ。

笑って過ごそうと決めました。
私が笑っていないとみんなが不安になる気がして。
誰かが笑ってればみんなも少しは安心するかなと思って


今では、どこでも震災の話はある程度気軽にできるようになってて。
受け止められる許容範囲には、もちろん個人差はあるけどね。

でも、震災関連の話は、触れてはいけない話題じゃなくて、この辺りでは毎日当たり前の話題。
6年経つとそういう感じなんだね。


手術から半年経とうとしている今、油断してる時がある。
それだけガンであることが、日常として馴染んできたってことなんだけど、
私の中にはガン細胞があることを忘れてはいけないし備えないといけないよね。


震災も。
油断したらダメ。もちろん常に備えておかないと。
でも、たまにこっちも油断するんだよね。
防災バッグの中身は夏用になってるかな。
ベッドの近くにすぐ履ける靴、置いてあるかな。



乳がんは、乳がんになったのは、私のこの体だけど、私だけに起こったことじゃないんだよね。
家族や友達、彼氏や仕事仲間、みんな関わってるもんね。
家族を守りたい。
大切な人を泣かせたくない。


油断しないで、今日も笑って過ごそう。
乳がんは、触れてはいけない話題じゃないし、当たり前の日常だから。

数年後、大切な人がみんな、私と一緒に笑ってくれていますように。